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2600年前の”戦士の遺体”が、実は「13歳の少女」だったと判明(シベリア)

2021.01.28 Thursday

2020.06.18 Thursday

今から30年ほど前、シベリア南部の地で、武具とともに埋葬された約2600年前の戦士の遺体が発見されました。

遺体は若い男性のものとして片付けられ、それ以後、詳しい調査はされていません。

ところが、最近になって行われた遺伝子解析により、予想外の事実が明らかになりました。

戦士の遺体は、男性ではなく、13歳の少女のものだったのです。

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Credit: jp.depositphotos

「3人殺すまで処女のまま」、少女はスキタイの女戦士?

戦士の遺体は、1988年にアジア中央部・トゥヴァ共和国のサリグ・ブルン(Saryg-Bulun)で発見されました。

木製の棺に収められた遺体は、毛皮のコートで包まれ、一部がミイラ化して残っています。

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遺体が発見されたトゥヴァ共和国のサリグ・ブルン

発見者の考古学者マリーナ・キルノフスカヤ氏(サンクトペテルブルク物質文化研究所)は「当初、遺体が若い男性であることに疑いを挟む人はいなかった」と話します。

ところが、モスクワ物理技術研究所による遺伝子解析の結果、まだ14歳にも満たない少女であることが特定されたのです。

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実際の遺体

この驚くべき事実から、研究チームは「スキタイ文明に存在した女戦士の一人である可能性が高い」と考えます。

シベリア南部に起源を持つスキタイは、BC9〜BC2世紀頃まで栄えたイラン系遊牧民で、女性の地位が高かったことで有名です。

その風習には、女神に仕えるため去勢された男性たちがおり、「エナレス」と呼ばれていました。そして、男装した女戦士も多く、幼い時から戦闘訓練を受けていたという記録が残っています。

古代ギリシャの著名な医師ヒポクラテス(BC460〜370)は、残された記述の中で、「スキタイの女性は、処女である限り、馬に乗り、矢を放ち、槍を投げ、敵と戦う。彼女らは敵を3人殺すまでは処女を貫き、結婚もしない」と書いています。

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遺体のスケッチ/Credit: siberiantimes

少女の遺体は革製の帽子を被り、ひざ下にはトビネズミの毛皮から作られたコートが見られました。

この他に、木製の長い柄がついた斧カバ材で作られた1メートルほどの弓10本の矢(それぞれ70センチ)が入った矢筒など、武器一式も一緒に埋葬されています。

調べによると、矢先の種類は2本が木製、1本が骨、残りが青銅製でした。

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青銅製の矢先(左)、見つかったその他の矢/Credit: siberiantimes
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木製の矢先と矢尻
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長さ1メートルほどの弓

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