コロンブスの「最初の」埋葬地が発覚
コロンブスの「最初の」埋葬地が発覚 / Credit: canva
history archeology
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2022.05.15 Sunday

死後も大西洋を横断してコロコロ埋葬地が変わったコロンブスの「最初の埋葬地」が判明!

クリストファー・コロンブス(1451?〜1506)は、「新大陸」を発見した偉大な人物として賞賛される一方で、アメリカ先住民の大量虐殺のきっかけを作った悪魔的人物として非難されることもあります。

いずれにせよ、彼が歴史上の重要な位置を占めることは否定できません。

にもかかわらず、1506年の死後、彼が「最初に」埋葬された場所は謎のままでした。

(後述しますが、コロンブスの遺体は複数回移転している)

しかしこのほど、スペインのマドリード海軍博物館(Naval Museum of Madrid)の調査で、ついにコロンブスの最初の埋葬地が特定されました。

その場所は、スペイン北部のバリャドリッド県にあるようです。

埋葬地の移転も含めて、以下で詳しく見ていきましょう。

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死後も大西洋を航海したコロンブスの遺骨

コロンブス
コロンブス / Credit: ja.wikipedia

コロンブスは、イタリアのジェノヴァ出身とされ、のちにスペイン王室のフェルナンド2世とイザベラ1世の後援で、1492年から1504年の間に4度の航海を指揮しました。

最初の航海は、1492年8月3日、インドを目指して大西洋に出帆しています。

なぜインドを目指して大西洋を西に向かったのかというと、当時想定されていた世界のサイズは現在より小さかったからです。

コロンブスは西に向かう方がアフリカ南端を回るより楽にインドへ行けると考えたのです。

コロンブスの航路選択に影響を与えたとされる当時の世界地図。アメリカ大陸はなく実際の世界よりだいぶ小さい。
コロンブスの航路選択に影響を与えたとされる当時の世界地図。アメリカ大陸はなく実際の世界よりだいぶ小さい。 / Credit:YALE UNIVERSITY

そして10月11日の日付が変わろうとする真夜中に、の乗組員が陸地を発見しました。

翌朝、コロンブスはこの島に上陸し、ここを「サン・サルバドル島」と命名します。

コロンブスが作成したとされる地図
コロンブスが作成したとされる地図 / Credit: ja.wikipedia

彼は最初ここがインドだと思っていたようですが、実際そこは彼の目指したインドではなく、米フロリダ半島の南方の海に浮かぶバハマ諸島の一つでした。

インドと何の関係もないこの地域が、現在の地図で西インド諸島と呼ばれるのは、このときのコロンブスの勘違いが理由です。

西インド諸島のサン・サルバドル島の位置
西インド諸島のサン・サルバドル島の位置 / Credit:Google

1493年9月、ここが新大陸だったと判明した後の2度目の航海は完全な植民目的で始まり、コロンブス率いるスペイン軍は、アメリカ先住民に対して徹底的な殺戮行為を行いました。

さらに、スペイン人の持ち込んだ疫病は、殺戮よりも凄まじい勢いで広がり、膨大な数の先住民がなすすべなく命を落としています。

このコロンブスの襲撃戦略は、その後10年間にわたり、スペイン人の征服者が模範とした殺戮モデルとなりました。

そして、4度目の航海を終えた1504年11月、コロンブスは病にかかり、そのまま1506年5月20日に、スペイン北部バリャドリッドで死去しています。

コロンブスの「最初の」埋葬地はどこ?

さて、話はここからです。

コロンブスが亡くなったあと、遺骨がバリャドリッドに埋葬されたことは以前から知られていましたが、その正確な場所まではわかっていませんでした。

最初の埋葬から3年後、彼の遺骨はスペイン南部の都市セビリアにある家族の霊廟に移転します。

それから1544年、コロンブスが生前に残した指示によって、今度はセビリアから遠く、海を渡って中南米のドミニカ共和国の首都サントドミンゴに移転。

ついで1795年、彼の遺骨はハバナに移されたあと、再び大西洋を超えて輸送され、1898年に現在のセビリアに戻されました。

ドミニカ共和国サント・ドミンゴ(地図左)とスペイン・セリビア(セリービャ)(地図右上)の位置関係
ドミニカ共和国サント・ドミンゴ(地図左)とスペイン・セリビア(セリービャ)(地図右上)の位置関係 / Credit:Google

2005年に、グラナダ大学(University of Granada)を中心とする研究チームが、セビリアのから採取した骨片のDNAサンプルをもとに、そこに保管された遺骨がコロンブスのものであることを確認しています。

コロンブスの遺骨が保管されたサントドミンゴの礼拝堂
コロンブスの遺骨が保管されたサントドミンゴの礼拝堂 / Credit: commons.wikimedia

そして今回、マドリード海軍博物館の研究チームは、コロンブスの最初の埋葬地が、バリャドリッドにかつて存在したサンフランシスコ修道院(San Francisco convent)である、と断定しました。

この修道院は現在はすでに存在せず、代わりに「マヨール広場(Plaza Mayor)」と呼ばれる、赤いアーケードに囲まれた歩行者天国のような広場となっています。

バリャドリッド
バリャドリッド / Credit: ja.wikipedia

研究主任のマルシアル・カストロ(Marcial Castro)氏によると、この結論は「詳細な歴史的調査と地中レーダーによる探索」で判断されたとのこと。

カストロ氏は、現在のセビリアの埋葬地から採取した金や鉛、レンガのサンプルを調べた結果、バリャドリッドの埋葬地のものと一致が見られた、と述べています。

また、地中レーダーからかつて存在した礼拝堂の大きさを割り出しており、3分の2はマヨール広場の路上に、残り3分の1が現在銀行がある場所の下にあったと見られています。

研究チームは現在、コロンブスの遺骨が納められていたバリャドリッドの礼拝堂の寸法を3Dで再現しているとのことです。

1572年ころのバリャドリッド
1572年ころのバリャドリッド / Credit: ja.wikipedia

一方で、現在のコロンブスの埋葬地についても、ちょっとした議論が起きています。

ドミニカ共和国は、コロンブスの遺骨がいまだサントドミンゴに存在すると主張しており、この点について決着が付いていません。

これについて、2005年にDNA調査をしたグラナダの研究チームは、セビリアの遺骨がコロンブスのものであることは確かだが、その一部が分かれて、サントドミンゴにも残っている可能性があるとしています。

しかし歴史上の重要人物とはいえ、コロンブスが死後これだけ何度も埋葬地を変更されているというのは興味深い話しです。

コロコロと埋葬地が変わったコロンブスの最初のお墓を見つけるという研究は、まるで映画「インディー・ジョーンズ」の一幕のようですね。

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