ガリレオの手紙を発見。教会を出し抜こうと試みた跡が

history_archeology 2018/09/25
Photo credit: Biblioteca Rector Machado y Nuñez on Visual Hunt / CC BY
Point
・ガリレオは教会が支持しない「地動説」を擁護したことで異端審問にかけられ有罪とされた
・審問では、ガリレオが友人に宛てた手紙の内容が教会への批判となっている証拠とされた
・この手紙を表現がマイルドになるように書き換えたものが新たに発見された

天文学者ガリレオ・ガリレイは17世紀、教会が支持しない「地動説」が正しいと言及し、異端審問にかけられました。しかしその後、不利な立場を打開しようとした彼は、少々姑息な手を使ったようです。

王立協会の書庫を閲覧していた歴史学者たちが、ガリレオが教会批判の証拠とされた手紙を「改ざんされたもの」として主張し、こっそり書き直していた痕跡を発見しました。王立協会の“Notes and Recoreds”で公開

17世紀当時、西洋では天動説が常識で、地動説は「聖書に合わない」眉唾な理論とされていました。地動説自体は、1543年に天文学者コペルニクスによって、『天球の回転について』で提唱されていました。ガリレオは、コペルニクスの死後、より倍率の高い望遠鏡を発明して星空を研究した結果、この理論が正しい証拠を見つけたのです。

Photo credit: Internet Archive Book Images on VisualHunt / No known copyright restrictions

しかし、それは教会の支持する、地球が宇宙の中心であるとする教義に反していました。しかし、1613年にガリレオが友人である数学者ベネデット・カステッリに宛てた手紙の中で、「地動説は聖書とは矛盾しない」と説明しています。むしろ、「聖書の中にある天文イベントに関するとぼしい言及を文字通り受け止めるべきでは無い。というのも、代書人がその詳細を一般の人にも理解できるように単純化したからだ」と主張しています。

ただし、不幸にも、教会は当時それを文字通りに受け取っていました。したがって、1615年の異端審問で、ドミニコ修道士ニコール・ロリー二によって転送されたこの手紙の複写が見つかると、ガリレオは心配になりました。そこで、ガリレオは少々汚い手段を使いました。

ガリレオは1613年にカステッリに宛てた手紙を、もっと慎重な表現を使って書き換えたのです。それから、仲の良いローマの司祭ピエロ・ディー二に頼んで、それをヴァチカンに送ってもらい、教会にいる彼の敵が、彼の印象を悪くするために改ざんしたのだと主張しました。

しかし、教会はそう簡単にはなだめられませんでした。1616年、異端審問はガリレオに地動説の擁護を諦めるように命令します。一方、ガリレオも諦めません。1632年にガリレオは、コペルニクスの地動説を支持する証拠と、教会が好む天動説の証拠を比較した『天文対話』を出版しました。地動説を主張するのは、単に知的探求であると主張したのです。

奮闘のかいなく、1633年、ガリレオは、「異端者の疑いが強い」と有罪判決を下されました。ガリレオは結局9年後に亡くなるまで、家を出ることを許されませんでした。

 

多才で知られているガリレオですが、政治的な世渡りに対しても臨機応変だったとは、新たな発見ですね。

 

via: Quartz/ translated & text by SENPAI

 

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