ついに「積ん読」が共通語に!? 海外で注目された意外な“Tsundoku”効果とは

life 2018/10/27

Point
・The New York TimesやBBCなどの海外メディアが「積ん読」をTsundokuとして記事に
・「積ん読」は好奇心を持って新しいアイディアや意見に耳を傾けることの重要性を理解していることの現れ
・本だけでなく、映画やTVの録画、ゲームなどを溜めてしまうさまざまな「積ん読」が存在する

日に日に「読む予定」の本の山がうず高くつまれていく「積ん読」。多くの人にとって身に覚えがあることではないでしょうか?

最近The New York TimesやBBCなどの海外メディアがTsundokuに注目し、立て続けに記事として取り上げています。英語では「積ん読」を直接表す語はないものの、どうやらそこには世界共通のものがあるようです。そしてTsundokuは日本ではネガティブなワードとしてとられがちですが、ポジティブな効果があるとも指摘されています。

「積ん読」の山が目に入るたびにある種の罪悪感のようなものを抱く人も多いと思いますが、安心してください。一生のうちに読みきれないほどの本のコレクションは、失敗や無知ではなく、栄冠を意味します。ベストセラー『ブラック・スワン』を記した認識論・金融の専門家ナシム・ニコラス・タレブ氏によると、人は知らない事柄よりも知っている事柄に重きを置きがちですが、私たちの世界をドラマチックに形作っているのはむしろ、私たちが知らない事柄だそうです。

本棚はその持ち主の人となりを表すと言います。本のコレクションを増やすことをやめた時、その人は「知るべきことをすべて知っていて、知らない物事が特に害をもたらさない」と考え出しているかもしれません。逆に、本のコレクションをどんどん増やしていく人は、好奇心を持って新しいアイディアや、意見に耳を傾けることの重要性を理解しています。『本屋大賞』の立ち上げにも関わった博報堂ケトルCEOの嶋浩一郎氏は、「積ん読」は「自分が知りたいことや欲求の鏡」だと自著の中で説明しています。

タレブ氏は、個人の本のコレクションには自分が「知らない」内容の本が含まれているべきだと解きます。本棚に眠るたくさんの未読の本たちが自分を見下ろして威嚇しているように感じることもあるでしょうが、それで良いのです。物事を知れば知るほど、逆に未読の本は増えてゆきます。まさに、ソクラテスが提唱した「無知の知」ですね。

実は「積ん読」という言葉の歴史は実はわりと古く、書誌学者の森銑三によると、1879年に出版された『東京新誌』にはすでに「積ん読先生」という表現が見られるそうです。多くの書物を持っていながら読まない教師を風刺して使った言葉なのだとか。

しかし、欧米にも一応「積ん読」と類似した「ビブリオマニア(bibliomania)」という言葉が19世紀頃から存在しました。はじめは取り憑かれたように初版本などの希少な書籍をコレクションする人を指していましたが、後に「単に熱心に本を買い集める人」を指すようになったといいます。一方「積ん読」は、読むつもりで本を買った本を読まずに溜めてしまう人を指すので、「ビブリオマニア」とは少し異なります。

「積ん読」に類似した現象は本だけではなく、暮らしのさまざまな場面で見られます。後で見ようと思って録画しておいた映画やテレビ番組が溜まったり、着るつもりで買った服に一度も袖を通さなかったり、ゲームを購入したものの手つかずだったりと、私たちの身の回りにはさまざまな「積ん読」が溢れています。このように、じっくり楽しみたいという気持ちが先立って、実際の行動が二の次になってしまうことは、日本や海外に限らず、実に人間らしい「あるある」なのでしょう。

 

ネガティブワードととられがちな「積ん読」は、「知らないことを知りたい」という知的欲求の鏡であるということがわかりました。これからは罪悪感を抱かずに「積ん読」ができそうですが…やはり、たまにはページを開いてあげましょう。

 

家庭の本棚にある「本の数」で子どもの能力が左右されるという研究

 

via: nytimes, bbc/ translated & text by まりえってぃ

 

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