なぜ人は「ぼっち飯」に心理的な抵抗を感じてしまうのか?

psychology 2018/11/10

 

あなたは「ぼっち飯」できますか?

最近では「お一人様」といった言葉も定着し、以前よりは一人でご飯を食べることに対するハードルは下がったようにも思えます。しかし、それでもなお、ぼっち飯に対して大きな抵抗を感じてしまう人は多いのではないでしょうか?

この動画は、なぜ私たちが「ぼっち飯」に心理的な抵抗を感じてしまうのかについて説明し、その解決策を示してくれるものです。これを見終わった後には、ぼっち飯なんて朝飯前になっているかもしれません。

 

仕事終わりに「ぼっち飯」ができるところを探すあなた。

しかし店の中は家族やカップルで溢れており、なかなか居心地の良さそうなところが見つけられません。

 

その中の1つに勇気を出して飛び込んでみても…

 

…恥ずかしい

 

「やっぱりやめた!」

ウェイターが来る前に扉を閉めて…

 

コンビニで買ったサンドイッチを、ハトと一緒に公園で頬張ります。

このように、多くの人にとって賑わっている店内での「ぼっち飯」は耐え難いものです。

しかし、私たちの中には「ぼっち飯」に全く苦痛を感じない人も存在しています。その心理的な「違い」の正体は一体何なのでしょうか?その正体を知るためには、私たちが「産まれたとき」にまで時を遡る必要があります。

 

私たちは、誰しもが産まれた瞬間は無力であり、自分一人の力で「安全」や「安心」を得ることはできません。

 

そして、母親をはじめとした「他者」からの愛情を受けることで、孤独な状況においても生きていける安心感を自らの中に内在させていきます。

 

「ぼっち飯」が平気な人は、幼少期に大きな愛情を受けて育った人であることが考えられます。つまり、彼らが一人でも料理をオーダーできるのは、自分が誰かから常に愛されており、この世界に存在する権利を持っていると心から思えているからなのです。

 

そのような安心感があれば、人は他者が自分に対して何を思っているのかが気にならなくなります。

 

しかし、当然ながらすべての人がそのような安心感を得ることができているわけではありません。

「心のブランケット」が存在していない人にとっては、人々の笑い声が、あなたをあざける声に聞こえてしまうでしょう。

 

そのような人の場合、他ならぬ「自分」が、自分自身の存在を肯定してあげなければなりません。これまでに、他の誰もしてくれなかったのですから当然です。

 

しかし、あなたがどのようなバックグラウンドを持っていたとしても、私たちはある「1つの事実」をもっと意識すべきです。

それは、いかに「人が他者に対して興味を持っていないか」ということです。

 

他のテーブルではジョークや仕事の話が飛び交っており、誰もあなたのことなど気にしていません。

つまり、あなたをあざける声は、他者ではなく「あなた自身」が自分の頭の中で響かせているだけなのです。

 

そして、「孤独」は決してネガティブなことではありません。一時的に仲間の輪から外れることは、あなたが自分自身の内面と向き合うことができる機会であり、それは、いつも安いおしゃべりで盛り上がっている人たちが持つことのない「特権」であると言えます。

 

そんな「特権」を上手に使った人物として、20世紀のアメリカの画家であるエドワード・ホッパーが挙げられます。彼は自身の作品の中で「孤独」を深く表現した人物です。

 

その代表作である「Automat(オートマット)」には、深く自らと向き合う孤独な女性が描かれています。しかし、そこに同情の気持ちは生まれません。むしろ一緒に座って会話を楽しみたいと思ってしまうほどです。

 

しかし、どれだけ孤独を肯定したとしても、「ぼっち飯」に対する恐怖心が消えない人もいるでしょう。

 

そんなときは想像力を働かせてみましょう。

あなたは一人ではありません。同じ悩みを抱えて生きている人は世の中にたくさん存在しているのです。

 

そして、あなたや彼らは決してみじめなわけではありません。少し人の輪から離れて自分自身と向き合うことで、より自分を高めるためのプロセスを体験しているだけのことなのですから。

 

 

「一人が好き」なのは内向的ではなく、実は「自律傾向が高い人」だった

 

via: laughingsquid / translated & text by なかしー

 

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