死海文書を書いた人物が判明? 発掘された人骨の正体とは

history_archeology 2017/11/20
Credit: ancient-origins.net

人類滅亡の預言書か、旧約聖書の原型か、はたまたキリストの謎を解き明かす手がかりか。

とかくオカルト民の間で注目を浴びている「死海文書」ですが、「誰が書いたのか」はその内容と合わせて長く謎に包まれていました。その中で有力な説としてあがっていたのが、「クムラン教団」と呼ばれるユダヤ教内エッセネ派系の宗教共同体です。

今回の発見は、その謎めいた宗教団体が執筆者という仮説を後押しするものとなりそうです。

Source: Y. Nagar et al. The people of Qumran — new discoveries and paleodemographic interpretations – American Schools of Oriental Research annual meeting
http://www.asor.org/wp-content/uploads/2017/06/ASOR-Program-2017-online.pdf

イスラエルのクムランで、33の人骨が発掘される

Credit: ancient-origins.net

11月16日、イスラエルの人類学者ヨシ・ナガールは、死海文書が発見された洞窟の近くで、新たに33人の埋葬者の骨が見つかったと発表しました。

死海の北西岸の町クムランで発見された骸骨は、放射性炭素年代測定では2200年前のものとされ、これは死海文書が書かれた紀元前150年から70年に近いと推定されています。

エッセネ派は厳格な律法遵守や独身主義によって結ばれた閉鎖的・秘教的な結社でしたが、これら33個の骨はほぼ20歳〜50歳の独身男性のもので、これまでの「エッセネ派説」の信憑性を高めています。

ナガールは、アメリカ東洋研究学校の年次総会でこう述べました。
「この研究は、最初期の理論である『独身男性をイデオロギー的に支援していた』クムラン社会の独自性を証明しています。最新の人口統計学と解釈では、未成年と女性は骨のサンプルが無く、その後の子供の人口と成人の年齢の死亡分布は、当時の砂漠の修道院と一致しています」

死海文書と失われた謎

死海文書ダマスカス文書の断片 Credit: ancient-origins.net

死海文書は、1947年から1956年の間にクムランにある11箇所の洞窟で見つけられました。約1000にわたる小さな断片からなる書籍群は、ほぼ古代ヘブライ語で書かれており、解読は困難を極めました。12洞窟は2017年2月に発見されましたが、死海文書が入っていた瓶、文書を包んでいた紙の破片、革の作品の切れ端のみでした。

最初の死海文書は、ベドウィン族の羊飼いがクムラン近くの洞窟で何気なく見つけたものです。その後、更に多くの文書が見つけられ、その幾つかは闇取引で民間のバイヤーに売り渡されました。この問題により、イスラエル考古学庁と世界遺産事業は難所であるその骸骨洞窟で古代ユダヤ人の洞窟を2016年に発掘することになりました。
イスラエル考古学庁のイスラエル・ハッソンは、残りの死海文書を探すことが急務だと説明しています。

「今まで何年もの間、古代ユダヤ砂漠の洞窟にある重要な世界遺産や文化財は、私欲のために不正に強奪・発掘され続けてきました。私達が進めている国家計画の目標は、洞窟に残存する死海文書を全て発掘し、最終的には、それらの死海文書を国により保護・保存することです」

 

死海文書には「日本から救世主が現れる」という預言が載っていると噂されています。日ユ同祖論などとつながってくると非常に面白いわけですが、まだ見つかっていない死海文書に期待しましょう。

 

via: ancient-origins.net, ibtimes, sciencenews

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