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歴史で学ぶ量子力学【4】「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言ってよい」【最終章】 (4/4)

2021.01.27 Wednesday

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巨人たちの死

最後にこの偉大な量子論の歴史を築き上げてきた物理学の巨人たちの最後について触れておきましょう。

量子論の父と呼ばれ、最初にその世界の入り口を開いたマックス・プランクは第二次大戦中もハイゼンベルグなど共にドイツに留まりますが、1945年に末息子のエルヴィンがヒトラー暗殺容疑で捉えられ、絞首刑にされてしまいます。

「彼はわたしの太陽、誇り、希望だった」最愛の息子を亡くしたプランクは失意に暮れますが、それでも終戦後はドイツの物理学復興のために尽力し、彼の名を冠したマックス・プランク研究所が誕生します。

終戦後、間もない1947年に脳卒中により89歳で亡くなりました。

マックス・プランク研究所は、現代も残っていて多くの成果をあげています。

アインシュタインは1955年、動脈瘤の破裂で息を引き取ります。76歳でした。彼はなくなる直前まで研究に夢中で、病院のベッドの中でも研究ノートを持ってくるよう家族に頼んでいたといいます。

アインシュタインは亡くなる直前に、ドイツ語で何かをつぶやいたそうですが、夜勤の看護婦はそれが何を意味するのか聞き取ることはできませんでした。

彼は生前の希望通り火葬にされ、未公開の場所に灰が撒かれました。なお、彼の脳だけは火葬の前に取り出され、研究に回されました。

アインシュタインの死によって、量子力学の解釈に表から挑んでくる者はなくなりました。しかし、それでもボーアは、亡きアインシュタインと討論するように、量子力学の問題について考え続けたといいます。

「私にはアインシュタインが微笑んでいるのが見える。得意げだけど、思いやりのあるあの顔で」

ボーアはアインシュタインの死から7年後の1962年に亡くなりましたが、その前夜、書斎の黒板に描いていたのは1930年にアインシュタインが提示した「光の箱」という思考実験の図でした。

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アインシュタインの考案した光の箱の思考実験をボーアが後に図案化したもの(左)。ボーアが亡くなる前夜黒板に描いていた図(右)。ボーアは死の直前まで頭の中のアインシュタインと討論を繰り返した。/Credit:en.Wikipedia,Niels Bohr Arkivet

ボーアが最後まで気にかけていたのは、今考えている物理学の問題をアインシュタインならどう言っただろう? ということだったのです。

彼らの死後、著名なアメリカの物理学者リチャード・ファインマンはこういいました。

「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言って良いだろう」

私たちは、生まれたときからその答えを知っていて、中学生のときには「シュレーディンガーの猫ってのがあるんだって、すげえ。量子力学って意味わかんねえ」とか言っていたかもしれません。しかし、それは世界最高峰の科学者たちも同様だったのです。

量子力学は現在も相対性理論を含めた古典物理学とは分断されていて、物理学者たちはこれをなんとか統一したいと願っています。

現在の解釈も、どこかの未来で修正されることになるのでしょうか?

もしかしたらそのとき、「だから不完全だと言ったろう?」とアインシュタインがボーアの横でほくそ笑むのかもしれません。

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アインシュタインとボーア。1930年ソルヴェイ会議閉会後、エーレンフェスト邸にて。/Credit:pixabay

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