多くの恐竜発掘につながった2人の考古学者の「大喧嘩」とは

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(左)オスニエル・チャールズ・マーシュ。 (右)エドワード・ドリンカー・コープ/Credit:Wikipedia

恐竜にそれほど詳しくない人でも、トリケラトプス、アロサウルス、ステゴサウルスの名前は聞いたことがあるでしょう。

これら有名な恐竜の発見は、19世紀末アメリカの2人の古生物学者が引き起こした「化石戦争」が大きく関係しています

オスニエル・チャールズ・マーシュ氏とエドワード・ドリンカー・コープ氏は生涯のライバル関係にありました。

2人はお互いが「相手よりも功績を上げる」こと、「相手の足を引っ張る」ことに必死であり、その争いは、後に「化石戦争」と呼ばれるようになったのです。

周囲を巻き込んだ化石戦争は、恐竜発掘の分野において「大きな功績」と「負の遺産」の両方を残し、様々な意味で歴史に名を刻むこととなりました。

仲の良い二人に亀裂が入る

マーシュ氏は1831年、コープ氏は1840年にそれぞれ環境の異なる家庭に生まれました。

当時、「古生物学」はまだ新しい学問でした。それは、1841年に初めて「恐竜」という名前が生まれたことからも明らかです。

その後、恐竜の化石発掘は非常に盛んになり、多くの人の注目を浴びるものとなっていきました。

今でさえ、当たり前のように認知されている「恐竜」たちは、当時、新種として次々に発見されていたのです。

マーシュによるステゴサウルスの復元図/Credit:Wikipedia

この新種発見に大きく貢献したのは、マーシュ氏とコープ氏です。

彼らは1864年にベルリンで出会い、良好な友人関係を築きました。一緒に化石採集を行なうことさえあったのです。

しかし、徐々に彼らの関係は崩れていきました。内心ではお互いに見下していたようです。

そして、相手よりも良い成果を上げたいという思いが、次第に表面に表れていったのです。

2人の関係が激化した1つの要因は、コープ氏が発表した論文の誤りです。

1868年、コープ氏は発表を急ぐあまり、エラスモサウルスの復元図を間違えてしまいました。

Credit:logmi

本来であれば、エラスモサウルスは首の長い恐竜ですが、頭の位置を間違えたため、尻尾が長い恐竜として発表してしまったのです。

この失態をマーシュ氏が厳しく指摘することで、2人の「化石戦争」は勃発しました。

化石戦争は功績と負債を生む

彼らは、「相手よりも良い功績を上げる」ために、必死に化石発掘と研究に取り組みました。

その結果、彼らは古生物学において大きな功績を残していったのです。

彼らが発表した新種の恐竜は142種類を超えます。現在まで有効なものは32種類に留まりますが、その中には、現代では誰もが見たことのある有名な恐竜が含まれています。

化石戦争の結果、はじめて全身骨格が発見された恐竜化石もあり、一般大衆の恐竜人気向上に貢献しました。

コープの雇った化石ハンターが発見した、ほぼ完全なアロサウルスの全身骨格/Credit:Wikipedia

彼らの戦いの結果がこれだけであれば、誰もが2人を「戦友」として称えたことでしょう。

しかし、彼らの戦いが「戦争」と呼ばれるのは、憎しみのこもった過激な「足の引っ張り合い」が頻繁に行われたからに他なりません。

彼らはお互いに自身の論文内で相手を否定し続けました。

加えて、スパイ、賄賂、投石、ダイナマイトによる発掘妨害が行われました。相手の化石を破壊することさえ行われており、古生物学上の大きな損失を招きました。

化石戦争は、彼らの時代に悪影響を与えただけに留まりませんでした。

彼らは相手を出し抜くために性急に行動しました。その結果、発見した化石を全くでたらめに復元してしまうことも多く、彼らの死後何十年も誤解と混乱を招き続けたのです。

「彼らが協力していれば、もっと大きな成果が得られただろう」と考える人は多いようです。

しかし、実際にあったのは、「戦争」と呼ばれほどの「大喧嘩」であり、彼らの大喧嘩が負債だけでなく、確かな功績を残したのです。

現在の古生物学の土台となっている化石戦争は、学術的にも、教訓的にも広く知られており、学べる部分は多くありそうです。

ついに恐竜の化石からDNAとタンパク質が初検出される

reference: wikipedia / written by ナゾロジー編集部
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