エルサレム旧市街地にある「嘆きの壁」は、紀元前20年に改築されたエルサレム神殿の西側の壁を指します。
もともとエルサレム神殿は紀元前10世紀に建てられた後、紀元前587年にバビロニアによって破壊。紀元前515年に第二神殿として再建されましたが、その後、紀元70年にローマ軍の攻囲戦により崩壊したという受難の歴史をたどりました。
ユダヤ人たちは、この嘆きの壁を「西の壁」と呼び、現在も神聖な場所として崇めています。
そして今回、イスラエル考古学庁(IAA)の調査により、嘆きの壁に面する広場の地下に隠された3つの部屋が発見されました。
一体何のためにつくられたのでしょうか?
暴き出された地下室の用途は?
見つけたのは本調査に参加していた学生たちで、当初は1400年ほど前のビザンツ帝国時代の建造物を進めていました。しかし、その発掘途中で、この地下室に出くわしたといいます。
発掘チームを率いたバラク・モニッケンダムギボン氏は「3つの地下室は、第二神殿が存在した古代ローマ時代初期までさかのぼる」と推測します。
エルサレムは3000年以上にわたり、古い時代の建造物を完全に取り壊すことなく、その上に新しい建造物を立ててきました。そのため、時代の異なる歴史的遺物が何層にも重なって発見されることがよくあります。
3つの部屋は階層状になっており、それぞれ階段で繋がっていました。
1つ目の部屋は2.5m×4m四方、2つ目の部屋は2.5m×2.5m四方、3つ目の部屋はまだ発掘途中であるものの、2つ目の部屋と同サイズと考えられています。
地下室の用途はまだ不明ですが、粘土製の調理器具や石で作られたマグカップ、照明用のオイルランプなど、生活用品が多数見つかっています。地下室の壁にはランプを置くための窪みも見られました。
このことから、居住空間として使われていた可能性も高いでしょう。もしそうであれば、エルサレムの地下で見つかった初めての日常生活を示す証拠となります。
モニッケンダムギボン氏は、他の可能性として、「地下食料庫や襲撃の際の避難所、あるいはエルサレムの聖職者や巡礼者のための食事を作る場所だった可能性もある」とも指摘しています。
いずれにせよ、エルサレムの歴史理解を進める上で、非常に重要な発見であることに違いはありません。
今後の調査で、世界史の物語を大きく書き換える遺物が見つかることもありえそうですね。