- 死海文書が書かれた動物の皮のDNAを分析した
- 分析結果をもとに断片を組み合わせると、当時の人間の宗教観が明らかになった
- 系統の異なるDNAは未知の洞窟の存在を示唆する
死海文書は紀元前250年から紀元70年の間に書かれたとされる、最古の聖書の写本群であり、聖書に書かれている文言の起源を探る大きな手掛かりの一つです。
1947年に死海北岸にあるクムラン遺跡近くの洞窟群で発見されましたが、その多くは現在に至るまでに破損し、25000を超える大小の断片にちぎれていました。
さらに発見された破片にはトレジャーハンターによる違法な盗掘によるものもあり、どの断片が他の断片と関連しているのかわかりません。
これまで多くの歴史家や宗教学者が、筆跡や断片の色合いといっ判断基準によって文章を連続させ内容を読み取ってきましたが、根拠はあいまいで、多くの間違いを内包しています。
そこで今回、イスラエルの科学者は断片に含まれる動物のDNAを調べることで、断片同士の関連性を確立しようと試みました。
死海文書の多くが羊皮紙や牛革の上に書かれているために、皮に残るDNAを調べることで、バラバラになった文章を再度組みなおすことができると考えたからです。
バイオテクノロジーと科学捜査のタッグは、失われた文章を復活させることができるのでしょうか?
かつて聖書は複数のバージョンが同時に存在していた
研究者たちは死海文書の分析の手法に、PCR(polymerase chain reaction)など現代の遺伝子検査技術を用いました。
死海文書のサンプルは長い年月のあいだに人間を含む多くの生物のDNAによって汚染されており、紙として使われている動物のDNAを特定するのは難しい作業だったとのこと。
サンプルの汚染を除去し、オリジナルの皮の遺伝分析を行った結果は意外なものになりました。
最初に判明したのは、文書に書かれていた予言の多様性です。
死海文書のDNAを分析した結果、一連の羊皮紙上に書かれていると考えられた、重要なエレミヤ予言(イスラエルの滅亡を予言)の文言が、異なる巻物に属するだけでなく、羊と牛の異なる動物の皮に書かれていることが判明します。
紀元0年前後、死海周辺は牛が生育できる環境ではなく、牛の皮が紙として使われていた形跡もありません。
つまり古代ユダヤでは、同じ聖書でも内容の異なるものが、さまざまな場所で書かれて、流通していたことを意味します。
中世では異端審問や教義の統一が掲げられていて、予言とは厳密でなければならないと考えられていました。
しかし分析によって、死海文書の掛かれた当時では、予言はより大らかに受け止められていたことがわかりました。
どうやら紀元前の人間にとって、聖書の本当の神聖さは文言の正確性や言葉遣いにはなく、解釈のほうにあると考えていたようです。
研究論文では、中世に行われた厳しい教義の画一化は、古代にあった聖書の豊富な表現や文化的背景を切り落とし、文化のボトルネックになったと述べています。