ニュートン(右)対ライプニッツ(左)、どちらが先に「微分積分法」を見つけたか
ニュートン(右)対ライプニッツ(左)、どちらが先に「微分積分法」を見つけたか / credit: wikipedia
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「微分積分法」を発見した学者が実は二人いた? “リンゴで有名な物理学者”ともう一人は… (2/3)

2022.02.16 Wednesday

2020.10.31 Saturday

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ヨーロッパ中を飛び回った外交官ライプニッツ

ライプニッツの肖像画
ライプニッツの肖像画 / credit: wikipedia

ライプニッツは、ニュートンより4歳年下。1646年、ドイツ東部のライプツィヒの大学教授の家に生まれました。6歳のときに父を亡くした後、父の遺したあらゆる文献を読破します。その中には、ガリレオやケプラーの著作もありました。

そして、ライプニッツは、数学や自然科学に多大な関心を持ちます。しかし不運にも、当時のドイツは三十年戦争で疲弊していたため、それらの学問は大学でほとんど教えられていなかったのです。1666年に大学で学位を取得しますが、彼の専門は法学でした。

その後、ライプニッツは大学には残らず、宮廷に入り、政治や外交の世界に生きることになります。外交官としてパリへ行き、ルイ14世にエジプト遠征を勧めたこともありました。様々な用務を受けて、ライプニッツはヨーロッパ中を訪れます。

ニュートンとは対照的に、ライプニッツは「自分の見つけた新しい業績をどんどん世に出したい!」と急ぐタイプだったようです。その熱意は、仲間と共に月刊の学術誌を創刊してしまうほど。その学術誌に、ライプニッツは微分法や積分法の論文を発表します。

ライプニッツの関心は非常に広く、数学だけには留まりません。史学、哲学、地質学など、とことん調べ、研究し、業績をあげまくりました。二足も三足もわらじを履くパラレルキャリアな万能人です。

しかし、悲しいことに晩年には孤立してしまいます。仕えている当主から「あまりにも多くのことに関心を持ちすぎて、ライプニッツは仕事をおろそかにしているのではないか」と疑われ、給料を下げられてしまったことも。

70歳で亡くなりますが、葬儀に出席したのは、古くからの秘書と親族数人だけだったようです。

ヨーロッパ中を飛び回りながら、孤独に亡くなっていたライプニッツ。生涯イギリスを出ず、国民から尊敬されて亡くなったニュートン。「微分積分法の発見」という運命的な共通点はありながらも、2人の生涯は不思議なほど対照的です。

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