サウジアラビアで見つかった碑文では最長
碑文は、サウジアラビア北部のハーイル地域にあるアル・ハイト(Al Hait)で発見されました。
アル・ハイトは、古代世界ではファダック(Fadak)と呼ばていた場所で、要塞跡や岩版絵、水利施設など数多くの遺跡が残っています。
SCTHの考古学者によると「紀元前1000年からイスラム時代の初期までの歴史的意義がある」とのこと。
さて、問題の碑文には、約26行にわたる楔形文字が記されており、サウジアラビアで発見された楔形文字の中では最も長いものです。
何が記されているかは分かっておらず、研究チームが目下、解読を進めています。
また、碑文の上部には、笏を持ったナボニドゥス王と見られる人物のほかに、ヘビや花、月のシンボルが描かれていました。
同チームは「何らかの宗教的な意味があると思われる」と述べています。

この碑文が、ナボニドゥス王について、どのような新しい情報を提供するかは分かりません。
ナボニドゥス王(在位:紀元前555?~539年)は、メソポタミア地方にあった新バビロニアの最後の王です。
彼の経歴はあまり明らかになっておらず、彼自身は碑文の中で「自分は取るに足らない出自だ」と記しています。
しかし、相次いで王位の変わる新バビロニアの混乱状態をとり収めて、王座につきました。
ナボニドゥスは、首都バビロンの歴史に大きな関心を持ち、自ら建築物の発掘や、発見した遺物の展示に奮闘しています。
たとえば、メソポタミアの太陽神シャマシュの神殿や、戦いの女神アヌニトゥの神殿、それから月神ナラム・シンの聖所など、史上初の発掘を指揮し、建築物の修復や年代測定までやってのけました。
その功績により、後代には「史上初の考古学者」として名を残しています。
しかし、それ以外のことは謎に包まれ、周囲からは「王家の変人」と言われていた説もあるそう。
ナボニドゥスは、前任の王たちに比べると長期間の在位にありましたが、同時期に急成長していたアケメネス朝ペルシアとの戦争によって王位を奪われています。
新バビロニアの歴史もそれと同時に幕を閉じ、ナボニドゥスの最期については明らかになっていません。
碑文には、ナボニドゥスの秘密を明かす何かが書かれているのでしょうか。