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「音」で暦を計算していた!?古代中国の「暦算術」がすごい (2/3)

2021.01.27 Wednesday

2020.01.05 Sunday

前ページ前漢はじめに用いられた暦法

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太初暦の誕生

顓頊暦は比較的精度が高い暦法でしたが、それでも年月を経るごとに深刻なズレが生じるようになってしまいます。

そこで、紀元後104年、前漢第7代皇帝である武帝の時代に至り、暦法が改められました。採用されたのは太初暦と称される鄧平らによって生み出された暦法です。

太初暦の大きな特徴としては、「八十一分法」の採用が挙げられます。

顓頊暦では1か月を29と940分の499日と定めていましたが、鄧平はこれを複雑すぎると考え、1か月を29と81分の43日と簡略化したのです。

ちなみに、鄧平が81を分母と定めたのは、9寸の律管が冬至の気候条件下で発する「黄鐘」と呼ばれる音に由来すると考えられています。

音と数学の連関については、紀元前6世紀頃に古代ギリシャの数学者であるピタゴラスが発見したことで有名ですが、中国でも『史記』律書をめくれば明らかであるように、音と数学は切っても切れないものとして考えられていました。

鄧平はさらに、音を歴算術にまで応用したというのですから、本当に驚きです。

画像
Credit: depositphotos

一方、太初暦は「三統暦」という名でも知られています。

三統暦を唱えたのは前漢末期に活躍した劉歆(りゅうきん)という多才な学者であり、そのために三統暦、すなわち、太初暦を考案したのは劉歆と考える人は多いようです。

しかし、劉歆は鄧平の説いた八十一分法に補足説明を付け加えたに過ぎず、太初暦を考案したわけではありません。

しかし、人々に太初暦を浸透させることができたのは劉歆の尽力によるところが大きいというのは事実です。

あまりにも科学的すぎる鄧平の説は、そのままでは当時の人々を説得し得ないものでした。

ところが、劉歆が鄧平の説を中国古来より受け継がれてきた五行説に当てはめて解釈したことによって広く受け入れられるようになり、改暦にまでこぎつけたのです。

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