戦闘用ではなく、儀式用に作られた?
チームは、剣の内部構造を特定するため、化学組成テストやX線スキャンなど一連の分析を行いました。
その結果、約3300年前の青銅器時代に北ヨーロッパで作られたものと考えられています。
ユヘルカ氏は「剣に使われている金属の種類は、発見された地では見られないものであり、他の場所で作られた可能性が高いです。また、この剣は中央ヨーロッパでアーンフィールド文化が台頭し始めた頃にはかなり高価なものになっていたでしょう」と指摘します。
アーンフィールド文化とは「骨壺墓地文化」とも呼ばれ、青銅器時代の後期(BC1300〜700年頃)にヨーロッパで主要になった文化です。
火葬した遺灰を骨壷に収め、武器や装飾品とともに埋葬する習慣がありました。
それから、X線分析では剣全体に多くの気泡が発見されています。
これは剣が熱で溶かした青銅を鋳型に流し込んで作られたことを示し、日本刀のように赤熱した金属を打つ方法ではなかったと思われます。
気泡は剣の頑丈性が低いことを意味し、おそらく戦闘用ではなく、儀式や副葬品として作られたのかもしれません。
その一方、北ヨーロッパで作られた剣が、今回のような辺境の地で見つかった理由は不明です。
ユヘルカ氏は「他にも多くの遺物が埋まっている可能性があるため、同サイトを徹底的に調べていく予定です」と述べています。