ツタンカーメンの墓に次ぐ2番目に重要な発見!
著名な考古学者ザヒ・ハワス氏の率いる調査チームは、2020年9月に、岩山墳墓群の「王家の谷」があるルクソール近郊で発掘調査を開始。
チームの当初の目的は、ツタンカーメン王の埋葬殿(mortuary temple)を見つけることでした。
しかし、数週間のうちに、姿を現したのは大規模な古代都市だったのです。
かつての街の通りには家々が並んでおり、中には高さ3メートルに達する壁も見られました。
家の中には、古代エジプト人が使っていたと思しき日用品も見つかっています。


7か月にわたる発掘調査により、居住区や行政区を含むいくつかの区画が明らかになりました。
中には焼き窯の設置されたパン屋もあり、その広いスペースは多数の来客に対応していたと思われます。
ハワス氏によれば、この遺跡はアメンホテプ3世(紀元前1391〜1353年頃に在位)の治世下に建設された都市とのこと。
それ以後、息子のアメンホテプ4世(のちにイクナートンと改名)と共同統治していた時代から、次王のツタンカーメン、アイ王の時代まで使用されたと考えられます。

同氏は「都市の存在は、過去に見つかっている記録文書などで十分に知られており、多くの国や研究グループが発掘を進めてきましたが、発見にはいたっていませんでした」と話します。
また、ジョン・ホプキンス大学(アメリカ)の古代エジプト学者、ベッツィ・ブライアン氏は「黄金都市の発見は、1922年のツタンカーメンの墓の発見に次いで、2番目に重要な考古学的発見である」と指摘。
その上で「古代エジプトが最も裕福だった時代の市民の生活を垣間見せてくれるだけでなく、エジプト史最大の謎の一つを解明する助けとなるでしょう」と続けました。
謎というのは「アメンホテプ4世とその妻ネフェルティティが、なぜアマルナに首都を移したのか」ということです。
アメンホテプ4世は、紀元前1350年頃にルクソール(当時のテーベ)の統治を始めてから数年後に黄金都市は放棄し、そこから北に402キロ離れたアマルナに首都を移しています。


遺跡からは彫像や宝飾品、彩色された工芸品などが次々と発掘されており、黄金都市はまだ多くのお宝を隠していると見られます。
研究チームは、先にあげた謎の解明も含め、黄金都市の調査を継続する予定です。