アーサー王と同時代のイギリス王家の墓が見つかる
アーサー王と同時代のイギリス王家の墓が見つかる / Credit: commons.wikimedia
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ひょっとするとアーサー王の墓? 同時代のイギリス王家の墓を大量特定! (2/3)

2022.04.02 Saturday

前ページ5〜7世紀の「アーサー王物語」は実話かフィクションか

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王家の墓は「西が質素で、東が豪華」

イギリスは、5世紀初めまで古代ローマ帝国の支配下にありました。

ローマ帝国による支配は、クラウディウス帝の侵攻を受けた西暦43年から、帝国内の反乱やゲルマン民族の侵略を機に、ローマ軍が呼び戻された西暦410年頃まで続いています。

その後の5〜7世紀にかけては、ローマの置き土産たる「キリスト教」の伝統を継承しようとしたイギリス人が、おもに今日のイングランド南西部やウェールズを中心とした、イギリスの西側を統治しました。

ウェールズ(緑)、その下がイングランド南西部
ウェールズ(緑)、その下がイングランド南西部 / Credit: ja.wikipedia

同じころ、ヨーロッパ北部に起源を持つ異教徒の「アングロ・サクソン人」がイギリスの東側に侵入し、定住するようになります。

キリスト教とは無縁だった彼らの埋葬はとても豪華なもので、精巧かつ華麗な副葬品とともに埋葬されました。

この時代のアングロ・サクソンの支配者の墓は、少なくとも9人分は見つかっています。

一方で、西側にも多くのイギリス王が存在したことがわかっていますが、彼らの墓はほぼ見つかっていません。

最大の理由は、イギリス王の墓が石碑や副葬品のない質素なもので、しかも他のキリスト教徒の墓とならべて埋葬されたことです。

これについて、ダーク氏は「キリスト教の伝統を汲むイギリス王家が、豪華な埋葬を異教徒の習慣とみなしたため」と指摘します。

つまり、アーサー王時代の王家の墓は地味すぎて平民を判別できず、なかなか研究が進んでいないのです。

それでもイギリス王家の墓には「柵や溝で囲まれたり、土の塚で覆われたりと、わずかに普通民と異なる特徴がある」という。

ダーク氏は、その点も踏まえて、謎に包まれたイギリス王家の墓を探索しました。

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