ウィリアム・ホガースの描いた風俗画、公開処刑を見物する人々が描かれている
ウィリアム・ホガースの描いた風俗画、公開処刑を見物する人々が描かれている / credit:wikipedia
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ロンドン市民の娯楽だった?!近代イギリスの公開処刑 (2/2)

2023.12.17 Sunday

前ページまるでイベントみたいに行われた公開処刑

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公開処刑廃止後は裁判傍聴とブロードサイドが人気に

イギリスの裁判所、近代では裁判を傍聴するために上・中流階級の人が並んだ
イギリスの裁判所、近代では裁判を傍聴するために上・中流階級の人が並んだ / credit:wikipedia

しかし1783年、ニューゲイト監獄の再建に伴い、公開処刑は監獄前の広場で行われるようになり、タイバーン処刑場は閉鎖されました。

これにより、見物人の数も相対的に減少し、以前のお祭り騒ぎ的様相は和らいでいったのです。

また同時に、公開処刑に対する抑止力への疑問が生まれており、刑罰の秘密化が進行しました。

それらに代わって犯罪をモデルにした演劇や刑死者の死体解剖などといったことが行われたりもしましたが、あまり定着することは無かったようです。

公開処刑に代わって人気になったのは裁判傍聴であり、医学の進展と相まって、精神性や人間性に焦点を当てた審議が行われ、裁判所の傍聴が流行しました。

しかし、裁判傍聴は無料であったものの、あくまで中・上流階級向けのものであり、労働者階級には少ない座席しか用意されていませんでした。

また有名な事件の裁判の場合は傍聴チケットを転売して金儲けをする人も多く、転売されたチケットはとても労働者階級の人に手に入る価格ではなかったのです。

労働者階級の人にとって公開処刑の代替の娯楽になったのは、ブロードサイド(現代日本でいうタブロイド紙)です。

ブロードサイドは、処刑者の詳細情報や最期の言葉を提供し、労働者階級にとっての速報ニュースとなりました。

しかしこのブロードサイドは面白くするために処刑者のプロフィールや最期の言葉を誇張したり、でっち上げたりしていますので、信ぴょう性はあまりなかったようです。

それでもロンドン市民の娯楽として、かなりの売れ行きを誇りました。

公開処刑はやがて犯罪者のプロフィールを晒して弄ぶ方向へと変化していった。週刊誌やネットの炎上はこの延長にあるのかもしれない。
公開処刑はやがて犯罪者のプロフィールを晒して弄ぶ方向へと変化していった。週刊誌やネットの炎上はこの延長にあるのかもしれない。 / Credit:canva

昔のイギリスの人が公開処刑を娯楽として捉えているのは現代の私たちとは大きく感性が異なっているように感じます。

しかし現代でも炎上した有名人に誹謗中傷を行ったり、炎上した人の経歴についてあることないことが綴られたまとめサイトが作られたりしていますので、私たちは昔のイギリス人と根本的なところは変わっていないのかもしれません。

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