「微分積分法」を発見した学者が実は二人いた? “リンゴで有名な物理学者”ともう一人は…

ニュートン(右)対ライプニッツ(左)、どちらが先に「微分積分法」を見つけたか
ニュートン(右)対ライプニッツ(左)、どちらが先に「微分積分法」を見つけたか / credit: wikipedia

多くの人が高校の数学で学ぶ「微分積分法」。いつの時代に、誰が発見したのかご存知ですか?

17世紀後半、誰もが知るイギリスの物理学者ニュートンがその発見者の一人になります。実はもう一人、哲学者としても有名なドイツのライプニッツも微分積分法の発見者です。

同時代に別々の場所で、微分積分法を発見した二人。運命のいたずらなのか、二人は不思議なほど対照的な生涯を送ります。そして、晩年には「どちらが先に微分積分法を発見したのか?」を争点とした二人のバチバチな泥沼論争があったのです!

生涯イギリスを出なかった大学教授ニュートン

ケンブリッジ大学とニュートン
ケンブリッジ大学とニュートン / credit: wikipedia

1642年、ニュートンはイギリス中部のウールスソープという小さな村の農家に生まれました。叔父の援助を受け、1661年からケンブリッジ大学に入学します。

しかし、1665年頃にペストが大流行。大学は閉鎖され、故郷の村に帰らなければならなくなりました。

過去ナゾロジーでも記事にしたとおり、ニュートンはその外出自粛の時期をうまく活用し、微分積分法や万有引力の法則を発見します。

その後1667年に大学に戻り、1669年にケンブリッジ大学教授となりました。教授職は、彼の師匠バローから譲り受けたもの。バローは、ニュートンの才能を高く評価し、自身の地位を譲ったのです。

ニュートンは「自分の見つけた新しい業績をどんどん世に出したい!」と急ぐタイプではなかったようです。彼の主な著作「自然哲学の数学的原理(プリンキピア)」は近代科学の最重要文献として有名ですが、これも天文学者ハレーに説得されて書かれたものでした。

ニュートンは、ケンブリッジ大学教授だけでなく、議員や造幣局長官も務めました。ありあまる才能と立派な地位を持つニュートンは、まさに英国民のヒーロー。亡くなったときは、盛大な葬儀が行われ、ウェストミンスター寺院に葬られました。歴代の王や女王、偉大な著名人が埋葬される寺院です。

彼は生涯イギリスを出ることなく、84歳で生涯を終えました。

ヨーロッパ中を飛び回った外交官ライプニッツ

ライプニッツの肖像画
ライプニッツの肖像画 / credit: wikipedia

ライプニッツは、ニュートンより4歳年下。1646年、ドイツ東部のライプツィヒの大学教授の家に生まれました。6歳のときに父を亡くした後、父の遺したあらゆる文献を読破します。その中には、ガリレオやケプラーの著作もありました。

そして、ライプニッツは、数学や自然科学に多大な関心を持ちます。しかし不運にも、当時のドイツは三十年戦争で疲弊していたため、それらの学問は大学でほとんど教えられていなかったのです。1666年に大学で学位を取得しますが、彼の専門は法学でした。

その後、ライプニッツは大学には残らず、宮廷に入り、政治や外交の世界に生きることになります。外交官としてパリへ行き、ルイ14世にエジプト遠征を勧めたこともありました。様々な用務を受けて、ライプニッツはヨーロッパ中を訪れます。

ニュートンとは対照的に、ライプニッツは「自分の見つけた新しい業績をどんどん世に出したい!」と急ぐタイプだったようです。その熱意は、仲間と共に月刊の学術誌を創刊してしまうほど。その学術誌に、ライプニッツは微分法や積分法の論文を発表します。

ライプニッツの関心は非常に広く、数学だけには留まりません。史学、哲学、地質学など、とことん調べ、研究し、業績をあげまくりました。二足も三足もわらじを履くパラレルキャリアな万能人です。

しかし、悲しいことに晩年には孤立してしまいます。仕えている当主から「あまりにも多くのことに関心を持ちすぎて、ライプニッツは仕事をおろそかにしているのではないか」と疑われ、給料を下げられてしまったことも。

70歳で亡くなりますが、葬儀に出席したのは、古くからの秘書と親族数人だけだったようです。

ヨーロッパ中を飛び回りながら、孤独に亡くなっていたライプニッツ。生涯イギリスを出ず、国民から尊敬されて亡くなったニュートン。「微分積分法の発見」という運命的な共通点はありながらも、2人の生涯は不思議なほど対照的です。

泥沼論争!微分積分法はどちらが先?

ニュートンとライプニッツの論争は、イギリス側VSヨーロッパ大陸側の大論争にまで発展
ニュートンとライプニッツの論争は、イギリス側VSヨーロッパ大陸側の大論争にまで発展 / credit: pixabay

二人は、直接会うことはありませんでしたが、1670年頃から文通をしていたようです。最初はお互いにリスペクトしていたそうですが、晩年にバトルが勃発!

ライプニッツたちの研究が盛り上がっていた頃、ニュートンの周りの人たちが「ライプニッツたちがやっている研究のアイデアは、ニュートンのアイデアと同じだ!」と気づき、「ライプニッツは、ニュートンから学んで、アイデアを自分のものにしたのでは?」とザワザワし始めます。現代風に言えば「パクリ疑惑」と言ったところでしょうか。

このバトルは泥沼化していき、イギリス側VSヨーロッパ大陸側の大論争にまで発展してしまいました。

ついに、ライプニッツはイギリスの王立協会に「どちらが先か」の判定を依頼します。王立協会の会長はニュートン。つまりライプニッツは敵側に判定を委ねたのです。

すると、ニュートンは王立協会の名義で、ニュートン側とライプニッツ側のやりとりをまとめた「書簡集」を出版し、「先に微分積分法を発見したのはニュートンだ」ということを自ら立証しようとします。しかし、その書簡集では、ライプニッツの手紙の日付が変更されていたのです!

とうとうライプニッツはウンザリしてしまったのか、「今は他にすることがある」と言い、論争から身を引いてしまいました。「泥沼論争をこれ以上続けるよりも、自分の研究のために時間を使いたい」と、ライプニッツは考えたのかもしれません。

結局、二人のわだかまりは解消されることはありませんでした。

現代では「二人とも微分積分法の発見者」という見解となっています。偶然にも同じ時期に同じアイデアを思いついたとしたら、その事実を証明するのって、恐ろしく難しいですよね。

対照的な生涯を送った偉大な天才ニュートンとライプニッツ。17世紀に彼らが発見した微分積分法は、後世の数学や科学に絶大な影響を与えることとなりました。世紀の大発見と泥沼論争から300年もの時を経て、私たちは微分積分法を高校で学んでいます。

教科書に書かれている数式の裏側には、興味深い人間ドラマが隠されていたんですね。

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