黒死病の起源は「1338年のキルギス」と判明か
ペスト菌はネズミの体内に潜んでおり、ノミが媒介することで人に感染します。
現在わかっている黒死病の最初の記録は、1346年春、クリミア半島の黒海沿岸で発生したものです。
翌1347年には、交易を通じて地中海にもたらされ、そこからヨーロッパ全土へと拡大したとされています。
この経緯を踏まえ、専門家らは「中央アジアに黒死病の起源があるのではないか」と推測していました。
そこで今回、英スターリング大学(University of Stirling)と独エバーハルト・カール大学テュービンゲン(UEC)の共同研究チームは、1885〜1892年にかけて、中央アジア・キルギス北部にある2つの墓地で発掘された30人ほどの遺骨を対象に調査を開始。
考古学的証拠から、同地では1338〜1339年までに埋葬された遺体の数が突出して多いことが判明しており、さらに、一緒に見つかった墓石には、何らかのパンデミックが原因で死亡した旨が記されていました。
こうした状況証拠を見ても、”黒死病の始まり”を予兆していることが伺えます。
![遺骨とともに見つかった墓跡(古代シリア語で、没年の1338年と記されている)](https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/06/1f632f38b314429fb3e21cbae14637c8-569x600.jpg)
そこでチームは、7人の歯からDNAを抽出し、遺伝子の塩基配列を決定して、現代および過去のペスト菌のゲノムと比較しました。
その結果、うち3体からペスト菌の古DNAの痕跡が見つかり、当時キルギスで起きたパンデミックが本当にペストであったことがわかったのです。
研究主任のフィル・スラヴィン(Phil Slavin)氏は「墓石に記された謎の伝染病の正体が、ペストであったことがついに証明できた」と話します。
さらに、うち2つのペスト菌のゲノムは、14世紀前半に生じた単一の菌株のゲノムであることが判明。
この地域に現存するペスト菌と比較したところ、これらの菌株は、キルギスと中国にまたがる天山山脈周辺の野生ネズミの集団に循環している現代の株に似ていることが特定されたのです。
これは、黒死病がまた別の場所から持ち込まれたのではなく、この地域で最初に発生したことを示唆します。
つまり黒死病は、天山山脈にいたネズミからノミを媒介してキルギスの民に伝染し、パンデミックを引き起こしたと考えられるのです。
![2つの赤点が墓地、その南東方向にある青線が天山山脈](https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/06/808107ce03adc060b9f075fad9c6b7cc-900x370.jpg)
同チームのマリア・スピロ(Maria Spyrou)氏は、こう話します。
「私たちは、キルギスの菌株が、ヨーロッパにおける大規模なパンデミックの最終共通祖先に位置することを発見しました。
言い換えれば、私たちは黒死病の起源となった株を発見し、その正確な発生年まで知っているのです」
正確な発生年とはつまり、暮石に記された1338年のことです。
まとめ
![ピーテル・ブリューゲル作『死の勝利』(1562年)、ペストに続く社会的混乱と恐怖を描いたもの](https://nazology.net/wp-content/uploads/2022/06/The_Triumph_of_Death_by_Pieter_Bruegel_the_Elder-841x600.jpeg)
黒死病がどのように広まったかは、昔も今も大きなテーマです。
研究チームは、キルギスの歴史的記録や墓地で発見された人工遺物にもとづいて、同地には、ユーラシア全土の各地域との交易に依存した多様な共同体があったと推察しています。
いわば、ペスト菌が拡大しうるネットワークがあったのです。
その交易路の中に、キルギスで黒死病に感染した”ペイシェント・ゼロ(0号患者)”が混じっていた可能性が高いでしょう。