「おやじギャグ」には隠された真の効果があると判明!
「おやじギャグ」には隠された真の効果があると判明! / Credit:Canva . ナゾロジー編集部
education

「おやじギャグ」には隠された真の効果がある!?ユーモア研究の報告 (2/2)

2023.03.21 Tuesday

前ページ「おやじギャグ」には隠された真の効果があると判明!

<

1

2

>

おやじギャグの真の目的

おやじギャグには教育効果が存在する

無意識にやってしまう行動の多くが本能の影響を受けている
無意識にやってしまう行動の多くが本能の影響を受けている / Credit:Canva

おやじギャグに教育効果があるのか?

信じられないかもしれませんが、最新の研究によると答えはYESのようです。

ここ数年、おやじギャグに対する研究が急速に進んでおり、父親が発するおやじギャグには、子供を困らせて嫌な気持ちにさせたり、子供に恥ずかしがらせる目的がある、とする理論が提唱されています。

またこの理論を提唱した研究では、男性の攻撃的な本能が「おやじギャグを兵器化」していると述べられています。

たとえば、(授業参観などで)父親がクラスメイトの前でおやじギャグを連発し失笑を買うという場面は、多感な思春期の子供にとって最悪の事態です。

そんなことになれば「マジ最悪、ありえない」と言って、恥ずかしさのあまり泣いてしまう子もいるでしょう。

しかし、その瞬間こそ、おやじギャグはその真の目的を果たしているのです。

容赦なく子供に恥をかかせることで、父親は子供の精神の回復力を高め、ちょっとしたネガディブ感情に負けないように訓練します。

えげつない行為ように思えますが、現実のいじめのように、おやじギャグの内容そのものに明白な害がありません。

おやじギャグの数ある特性の中に、極めて無害であるという要素があるからです。

おやじギャグは、子供を精神的に叩きのめすための「兵器」ですが、その内容が無害であるため、子供は比較的すぐに立ち直ることが可能です。

しかもこの場合、本当に恥ずかしい思いをするのは子供ではなく、おやじギャグをさく裂させた父親本人であるため、子供の受ける精神的ダメージも間接的なものとなります。

本質的な無害さ、ダメージの間接性、そしてなにより親が代償を払って特定の状況を経験させているという点において、おやじギャグは教育的側面を獲得するのです。

ある父親は以下のように言いました。

子供をわざと困らせてやることは、親の大切な役割の1つです。具体的に言えば、伝統的に恥ずかしいとされてきたことを、子供が見ても恥ずかしさを感じなくなるまで、徹底してやることが重要です」

父親が恥ずかしい行動をすることで子供にとって掛け替えのない鍛錬の機会が与えられます。この人はそれを知っていた?!
父親が恥ずかしい行動をすることで子供にとって掛け替えのない鍛錬の機会が与えられます。この人はそれを知っていた?! / Credit:Canva

「何年にもわたり、誰の目も気にせず、目を疑うような恥ずかしいユーモアに触れていれば、子供は恥ずかしさに免疫がつきます。そして恥ずかしさに怖がることなく、自分らしく生きる力が湧いてくるのです」

何物にも縛られない「自由な動き」が創造性を高めると判明!

そしておやじギャグを言うことに気恥ずかしさを感じている父親たちにメッセージを送りました。

「おやじギャグで子供を困らせたり恥ずかしがらせたりするのは、人類が誕生してからずっと行われてきた長く誇り高い伝統に参加することになります。あなたの酷いおやじギャグはこどもたちの精神を鍛え、子供たちがオヤジになったときに、(あなたの孫に対して)おやじギャグを言うのを助けてくれるでしょう」

おやじギャグがつまらない理由

つまらない理由を探すとなると、意外に難しい
つまらない理由を探すとなると、意外に難しい / Credit:Canva

なにやら壮大な話になってきましたが、まだ解決されていない問題があります。

それは、なぜおやじギャグがつまらないのか?という問題です。

おやじギャグが成人男性の攻撃性の現れだったり、つまらなすぎてユーモアの規律に違反するアンチ・ユーモアの効果があるのは先に述べたとおりです。

しかし「第一印象」がつまらない理由については、また別の話です。

そこで幾つかの研究では、おやじギャグの構造的な分析を行い、つまらなさの核を調べました。

すると、おやじギャグのつまらなさは、「シンプルさ」と「違反している規律の重要性の低さ」、そして「古臭さ」が原因であることが判明します。

再び「お金をとられたら、おっかね~」を例にとれば、このおやじギャグの起こしている規律違反が(表面的には)単語に2重の意味をかぶせる言語規律の違反だけであることがわかります。

言語規律の違反はユーモアの基本骨格でもありますが、単体で用いた場合、非常に低品質なユーモアを作り出してしまいます。

というのもユーモアの面白さは破られる規律の重要度にある程度依存しているからです。

性的ユーモアがそこそこの笑いをとれるのは、性的ユーモアが社会規律という重要度が高い規律に違反しているからと言えるでしょう。

一方、言語に対する規律を重要視している人はほとんどいません。

また、はじめて聞いた「新しい」おやじギャグに対して古臭さを感じる原因は、おやじギャグの持つ安直さにあると考えられます。

オチの予測が容易で安直なユーモアは、たとえはじめて聞くものでも、新規性を感じさせることができないからです。

しかし、シンプルかつ安直であるという点は、参入障壁を低くする効果もあります。

おやじギャグ集が乗っている本が毎年のように出版されているのも、ネットのフォーラムで日々新しいおやじギャグが披露されているのも、敷居の低さのお陰と言えるでしょう。

そして、おやじギャグにはある種のなつかしさが存在します。

「ふとんが吹っ飛んだ」「アルミ缶の上にあるミカン」「お金はおっかねえ」「ダジャレを言うのは誰じゃ?」

子供のときに耳にしたおやじギャグを今でも覚えている人は多いでしょう。

このような一部の定番と呼ばれるおやじギャグを記憶しているのは、私たちの言語能力が発達していく過程で、一時的におやじギャグレベルのユーモアも「面白い」と感じる段階があったからと言えるでしょう。

そういう意味では、おやじギャグがつまらなくなってしまった本当の原因は、子供のような瑞々しいを失ってしまったからなのかもしれません。

<

1

2

>

人気記事ランキング

  • TODAY
  • WEEK
  • MONTH

Amazonお買い得品ランキング

教育・子どものニュースeducation news

もっと見る

役立つ科学情報

注目の科学ニュースpick up !!