寺院は「穀物倉」だった可能性も
この問題に対し、研究員のShua Kisilevitz氏は、一つの仮説を立てています。
Tel Motza寺院が、宗教活動の他に、穀物の保存や配給に使われたサイロ(穀物倉)として機能していたというものです。実際、当時のイスラエル社会では、穀物倉が経済の発展にとって重要視されていました。
おそらくTel Motza寺院もサイロとして利用されていたため、ユダ王国にとって利益があったと考えられます。
また、寺院は宗教的な場としても利用されていたようです。
寺院の中庭には石造りの祭壇があり、人々はここで動物を生贄に捧げ、隣の穴に埋めていたと考えられています。
また、4体の土偶(人型が2体、馬型が2体)も発見されており、これらの偶像は、神と交信するための仲介として使われていたようです。干ばつ時の降雨や作物の豊穣、収穫を願っていたのでしょう。
ユダ王国が誕生した当初は、それほど力もなく、複数の神殿や寺院が存在していた可能性もあります。また、力を持った後も穀物倉として利用するなど、周辺地域と巧みな関係を築いていたのかもしれません。