数字としての力をもったゼロ
ゼロを拒否したギリシャ、ゼロを受け入れた東洋
![ギリシャ人は「ゼロ」を嫌った?](https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/12/greece-1594689_640.jpg)
バビロニアで生まれたゼロは、その後ギリシャに届きました。
ギリシャ人は、ゼロ記号にギリシャ文字の「Ο(オミクロン)」を当てましたが、これがアラビア数字の「0」に似ているのは偶然であり、0の起源ではありません。
また、ギリシャ人はゼロという概念に否定的でした。
彼らにとって、数字は幾何学的な図形を表すためのものであり、「そこにないもの(ゼロ)」という図形は認められなかったのです。
世界観も独特で、「すべては地球を中心に動き、宇宙には虚空や真空が存在する余地はない」とされたため、「ゼロは無神論だ!」と非難されました。
ところが、東洋世界では「創造と破壊が永遠に繰り返される」という思想が根底にあったため、ゼロはすんなり受け入れられたのです。
インドで生まれた「数字のゼロ」
![ブラフマグプタが学究生活を送った場所](https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/12/220px-__Sun_Dial__Jantar_Mantar_at_the_Ved_Shala_Observatory_Ujjain_-_panoramio_4.jpg)
ゼロは、628年頃のインドで大きなターニングポイントをむかえます。
それは、天文学者のブラフマグプタが数学と物理について書いた本の中でした。
ブラフマグプタは、数字を物理や幾何学のような具体的なものと切り離し、抽象的な量としてあつかった最初の人物です。
そして、数字が抽象的な存在になるや、たちまち数学の新たな扉が開かれました。
負の数の世界です。
これにより、数字は正と負の両方向に好きなだけ並べられる、という数列の考えが出現しました。
そして、数列の真ん中、正と負の境界にあるのが「ゼロ」です。
こうして、彼は「正の数にゼロを足すと正、負の数にゼロを足すと負、ある数にゼロをかけるとゼロになる」といった、ゼロの加減乗除のルールの発見に成功しました。
ゼロの偉人たち
その後、ペルシャのアル=フワーリズミー(780〜850)が、ゼロを示す記号として「0」を正式に導入。
0は新たな数字として1〜9の仲間入りを果たしました。
![フワーリズミー像](https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/12/200px-Khwarizmi_Amirkabir_University_of_Technology.png)
ここから、0はあらゆる偉人たちの手によって数学的に進化していきます。
イタリアの数学者フィボナッチは1202年、0が桁の多い複雑な数の計算をするのに優れていることを明らかにしました。
フランスの哲学者ルネ・デカルトは17世紀、2つの数字を使って、空間内の位置を点で、数式を線で表す座標系を発明しました。その平面の中心点は(0、0)です。
![デカルト](https://nazology.net/wp-content/uploads/2020/12/fb551c1a8bb4929d43c6e5b9792ecc61.jpg)
ドイツのライプニッツ(1646〜1716)は、1と0を使う「二進法」を開発。これがコンピューターの基礎になります。
また、イギリスのニュートン(1642〜1727)は、微分・積分に0を用いて、運動と変化を理解できるようにしました。
それから、フランスのラグランジュ(1736〜1813)は、近くにある2つの天体が、互いに引力を打ち消しあって、差し引きゼロになる空間内での位置を計算しました。
これは、衛星を打ち上げて安定した軌道に乗せるために使われています。
このように数学や科学は、ゼロの理解によって大きく進歩しているのです。