スキタイ人が残した芸術品
スキタイ人は、BC900〜BC200年頃まで中央アジア一帯で栄えた騎馬遊牧民です。
スキタイ文化については、彼らが書物に記録する習慣をもたなかったため、あまり多くは知られていません。
それでも、スキタイ人に遭遇した古代ギリシャやペルシア人により、数々の記述が残されています。
それらに一貫して共通するのは、スキタイ人が他民族に非常に恐れられた戦闘民族だったということです。
古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスは、紀元前5世紀頃の記述で、「スキタイ人を攻撃した者は誰一人として逃げられず、彼らが身を隠せば、なんびとも見つけることができない」と評しています。
また、スキタイでは、女性も一戦士として幼い頃から訓練を受け、戦闘に参加したことで有名です。
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スキタイ人の文化には、その他の多くの文化と同様、死後の世界で役立つかもしれない品物を副葬品として埋葬する習慣がありました。
彼らが作った墓は、「クルガン(kurgan)」というタイプの墳丘墓であり、内部に樹木を組んで作った墓室があります。

しかし、戦闘民族として知られるスキタイ人に、これほど豪華なブーツを作る技術があったことは驚きです。
赤いブーツは、装飾品や武具、衣服などと共に埋葬されており、アルタイの厳しい寒さと、クルガンの密閉された墓室のおかげで、極めて良好な保存状態が保たれたようです。
女性用の履物と見られ、革や織物、錫箔、金、ビーズなど、多様な材料が使われています。
ブーツの側面には、アヒルやハスの花のような複雑な模様が施されており、靴底には黒色のビーズがあしらわれていました。

専門家たちは「ほとんど汚れが見られないことから、外をあまり歩く必要のなかった高位の女性が履いていた可能性が高い。あるいは、純粋に副葬品のために作られたため、一度も使用されなかったとも考えられる」と指摘しています。
いずれにせよ、2300年という昔に、これほど精巧で美しい靴が作られていたことに感動すら覚えます。
人類には数千年前から、美しいものを作り、愛でる心が脈々と受け継がれているのかもしれません。
赤いブーツは現在、ロシア・サンクトペテルブルクにある「エルミタージュ美術館」に展示されています。