歴史で学ぶ量子力学【4】「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言ってよい」【最終章】

history_archeology 2020/04/26
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ニュートン以来、長きに渡って物理学が描いてきたのは、因果律に支配された決定論的な宇宙でした。

「現在が正確にわかっていれば、未来を予測できる」という、いわゆるラプラスの悪魔は、こうした古典物理学の常識を究極的に突き詰めていった場合に導かれる結論です。

しかし、ハイゼンベルクの不確定性原理は、こうした考え方にトドメを刺しました

そしてそこから、ボーアは「物事は観測によって決定される」(逆に言えば、観測するまで物事は決まっていない)というコペンハーゲン解釈を発表しました。

「未来は決まっていない。あるのは可能性だけだ」というのは、少年漫画のオチみたいで素敵ですが、決定論と因果律を尊ぶ物理学者たちには受け入れがたいものでした。

特にアインシュタインは確率などに頼らず、明確に電子の状態を決定できる隠されたパラメータが存在するはずだと考えました。

例えばAとBの2つの箱があり、片方にだけボールが入っているとします。このときAの箱の中は、蓋を開けようと開けまいと、ボールが「ある」か「ない」かの2つに1つです。

それに対して明言を避けて「Aの中にボールがある確率は50%だ」と言われたら、単にわかんないから確率で誤魔化してるだけじゃないかと言いたくなりますよね。

アインシュタインが指摘したいのはそういうことでした。彼にとって確率に頼るというのは、わからないから白旗をあげていることに等しかったのです。

そして、こうした量子力学の不完全性を暴くべく、アインシュタインは次から次へと思考実験を考案してボーアに戦いを挑みました

現在私たちがよく知る量子力学の解説の多くは、実はアインシュタインたちが量子力学を否定するために生みだした思考実験が元ネタです。

ここからは、馴染みのある量子力学の話しが数多く登場します。

ボーアを悩ませたEPRパラドックス

第二次大戦の影響で米国プリンストン高等研究所に移ったアインシュタインは、そこでも量子論の矛盾を指摘するための方法について考えます。

しかしプリンストンの研究所には、生まれたときから量子論を聞いて育った若手物理学者が多く、いつまでも量子論に理解を示さないアインシュタインは、頭のおかしい”老害”だと思われていました

そんな中で、アインシュタインに賛同して研究に手を貸してくれる研究者が現れました。それがポドルスキーとローゼンでした。

アインシュタイン・ポドルスキー・ローゼン。EPR論文を発表した当時ポドルスキーとローゼンはまだ20代と30代の若手だった。/Credit:graptechpedia

3人は共同でコペンハーゲン解釈に疑問を投げかける論文を完成させ、それは3人の頭文字を取ってEPR論文と呼ばれました。この論文は、アメリカの物理学専門誌『フィジカル・レビュー』に掲載され、大きな話題を呼びます。

EPR論文が言っていることの要点は次のようなものでした。

【ある粒子(電子)AとBが一瞬だけ相互作用してお互い反対の方向へと飛び去ったとしましょう。このときAとBの性質は相関を持っています。

Aの粒子の性質――例えば位置、または運動量――を測定すれば、反対方向に同じ距離を進んでいるはずのBの位置(または運動量)を知ることができるはずです。

この方法なら、Bに一切なんの観測をしなくても(運動をかき乱すことなく)、実在の運動量か位置を知ることができるのです。】

これは「観測することで粒子は現実の値を初めて得る」と主張するコペンハーゲン解釈と矛盾する問題で、EPRパラドックスと言われています。

これに対してボーアは、2つの粒子は初めに相互作用して、1つの系になっているのだから、Aを観測することでその影響がBにも伝わり、Bの運動量や位置を予測することが可能になるのだと反論しました。

しかし、Aを観測しただけで、何もしていない離れたBに力学的な影響が及ぶはずありません。しかもこの影響は、理論上2つの粒子が数光年という距離を隔てている場合でも、瞬時に伝わることになります。

このためボーアの言うこの謎の影響を、アインシュタインは「不気味な相互作用」だと言って揶揄しました

2粒子のイメージ。実際は原子よりもっと小さい世界の話。/Credit:technotification

結局ボーアはEPR論文に対して、非常にあいまいで難解な解答しかできませんでした

多くの物理学者が、アインシュタインは量子力学に対して再考を迫る決定的な一撃を与えたと感じました。

が、発表当初は盛り上がったものの、量子力学は実験と一致していて、ボーアの解釈で使っていてもなんの問題も生じないため、結局はやっぱりアインシュタインがどこか間違ってるんじゃないか、という雰囲気に落ち着いていってしまいました。

納得いかないシュレーディンガー博士

EPR論文の発表に大喜びしたのはシュレーディンガー博士でした

彼はEPR論文を褒める手紙をアインシュタインに書いたのですが、その中で相互作用した2粒子を表現するために世界で初めて「エンタングルメント(量子もつれ)」という表現を使います。(厳密にはこのとき書いたのは英語ではなく、後に英訳されてエンタングルメントになります)

「量子もつれ」は現代の量子力学研究の最重要事項と言って良いものですが、この用語の誕生に関わったのもシュレーディンガーでした。

ここまで量子力学に貢献していながら、シュレーディンガーは自分の方程式に対するボーアたちの解釈にまったく納得していませんでした。

アインシュタインはこのシュレーディンガーの手紙に返事を書き、その中で確実なことに対して確率しか示さない量子力学の愚痴を言いました。

翌年中に爆発する不安定な火薬樽があったとして、それが一年後、爆発した状態と爆発していない状態の中間だなんて、まともな記述じゃないでしょう。そんな状態の樽は現実に存在していないのだから。

シュレーディンガーは、この量子力学の奇妙な振る舞いをマクロな世界に置き換えた例え話が気に入り、これをきちんとした思考実験に変えて、翌年にコペンハーゲン解釈に疑問を呈する論文を発表しました。

この論文の中で語られるのが、みんな大好き「シュレーディンガーの猫」という思考実験です。それは次のような内容のものです。

【1匹の猫が鋼鉄の箱の中に悪魔的な装置と共に入れられています。その装置はガイガー計数管の中に非常に少量の放射性物質を入れたもので、これが1時間後に原子崩壊する可能性は50%です。ガイガー計が放射線を感知するとハンマーが稼働して青酸ガスの入った瓶を叩き割り猫は死にます。

原子崩壊は極めて量子的な現象で、それは観測するまで確率でしか状態を知ることが出来ません。量子力学では、1時間後の原子は崩壊した状態と崩壊していない状態が50%で混合した状態と記述されます。

この場合、原子の崩壊に生死の運命を握られている箱の中の猫も、観測されるまで生きている状態と、死んでいる状態が重なり合った不可思議な状態にあるということになります。】

シュレーディンガーの猫のイメージ図。/Credit:Wikipedia,Dhatfield

この思考実験でシュレーディンガーのやりたかったことは、コペンハーゲン解釈がいかに馬鹿馬鹿しい主張をしているかを示すことでした。

しかし、現代の多くの人たちが、これはコペンハーゲン解釈の意味を説明するための例え話として引用している通り、またもシュレーディンガーの仕事は彼の思惑とは逆の成果を生んでしまったようです。

私たちの感覚からすると、これだけ広く受け入れられているのだから、自分の思惑と世間の解釈が異なろうと、もういいじゃないか、と思ってしまいます。

なのに、シュレーディンガー博士は、「私の波動方程式がこんな風に使われるのなら、論文などにしなければよかった」とまで言って嘆いたそうです。

物理学者でない私たちには、自分と異なる解釈で自分の理論が使われてしまうシュレーディンガーの悔しさは、なかなか想像が難しい問題です。

しかし、例えばシュレーディンガーが物理学者ではなく、現代の漫画家だったと考えてみましょう。

漫画家シュレーディンガーは、あるとき非常に素晴らしい友情物語を描きました。しかし、それはなぜかネットで上質なBL漫画として広まってしまいうのです。そして彼の名は、後世に偉大なBL作家として伝わるのです。

この場合、作家は「名が売れたんだし、まあいっか」となるでしょうか?

自分と異なる解釈で波動方程式を使われたシュレーディンガーの悔しさは、これと同じものだったのではないでしょうか? ……違いますか、そうですか。

ともかく偉大な量子力学の成功者でありながら、ちょっと不憫な研究者、それがシュレーディンガー博士なのでした。

哲学の決着 ベルの定理

ここまでの議論は、現代にも語り継がれて使われている重要なものなのですが、当時は決着があいまいなまま放置されてしまいました。

その理由、これらの議論が実験ではどちらが正しいか証明できない、ただの哲学のお話だったからです。

さらに決定的だったのは、現代コンピューターの父と呼ばれるフォン・ノイマンが、アインシュタインが主張する隠れた変数で量子力学に書き換えることは不可能だという数学的な証明をしてしまったことです。

ノイマン自身はこれが条件付きの証明であることを警告していたのですが、ほとんどの物理学者たちは、もうこの問題に付き合ってもキャリアを台無しにするだけだと考え、量子論を使って業績を上げることに必死になりました。

しかし、それでもこの問題に踏み込む研究者がいました。それがアメリカ生まれの物理学者デーヴィッド・ボームです。

ボームはアメリカ共産党に在籍していた履歴があり、そのために当時アメリカで吹き荒れていた赤狩りのターゲットにされて、プリンストン大学准教授の職を失ってしまいます。

もう失うものが無いボームは、多くの研究者が畏れて関わらなくなった量子論の解釈に噛み付きました。

ボームの行った大きな功績の1つが、過去に発表されたEPR思考実験の簡単なバージョンを作ったことです。

オリジナルの論文では量子もつれという2粒子の検証に、位置と運動量という2つのパラメータを使っていました。ボームはこれを量子スピンという1つのパラメータで検証できるよう作り変えたのです。

ボーム版EPR実験では、スピン0の粒子が崩壊してAとBというもつれ状態の2つの電子(あるいは光子)を作ります。この2つの電子は、それぞれ「上向き」と「下向き」の反対のスピンを持っていて、2つの電子のスピンを合計すると最初の粒子が持っていた「0」にならなければなりません。

しかし、コペンハーゲン解釈ではAとBのスピンは上下が重なり合った状態になっていて、どちらかのスピンを測定するまでそれぞれのスピンは確定されません。Aが上向きと測定されればその瞬間、Bは下向きスピンと決定されるのです。

もつれ状態の電子あるいは光子は互いに和が0になる反対方向のスピンを持つ。/Credit:fisicaquantistica

現代でEPR実験を説明する場合は、オリジナルではなくこのボーム版が使われます。それくらい重要な修正を行ったのがボームなのです。

そして彼は、コペンハーゲン解釈の代替案となる隠れた変数理論として先導波(パイロット波)理論を発表します。

先導波理論とは、粒子と波動の関係を、波に乗ったサーファーのように解釈したものです。この波乗りする粒子は、波動方程式に従って移動しますが、任意の時刻にはっきりとした位置と運動量を持ち、そこから導かれる明確な軌跡を持っています。

しかし、観測者は不確定性原理によってその軌跡を測定することはできないのです。

先導波理論自体は1927年にド・ブロイが発表したアイデアですが、猛反発にあってこの考えを諦めていました。ボームはこれを洗練させてコペンハーゲン解釈に変わる理論に発展させたのです。

ボームは先導波理論によって、隠れた変数を導入しても現在の量子力学と同じ予想ができることを示したのです。

この論文を読んで衝撃を受けたのが、CERNの研究者ジョン・スチュアート・ベルです。

ジョン・スチュアート・ベルの肖像。ベルという名前の科学者を聞くと、電話の発明者を思い浮かべてしまうが、グラハム・ベルとは全くの別人。/Credit:CERN

コペンハーゲン解釈の代替案があるじゃないか、と知ったベルは、なんとノイマンの証明が正しくないことを明らかにします

そして、ベルはアインシュタインとボーアが長い間議論を続けても解決できなかった2つの哲学的解釈について、どちらが正しいかを決定する数学的定理を発見するのです

アインシュタインの主張は、量子は測定で決定しているのではなく初めから決まった値を持つはずだ、というものでした

アインシュタインが特にこだわっていたのが「局所性」という問題で、ある出来事の結果が光の速度より速く、他の場所に伝わって影響を与えることはない、ということでした。

もし2粒子を数光年離れた状態で測定したとき、Aの電子の測定結果によって、Bの電子の測定結果が決まるとなると、それは局所性が破れていることになります。

アインシュタインの理屈からすれば、Aを見たらBがわかるという2粒子の測定は、Aという箱とBという箱にそれぞれわからないように赤と青のボールを入れて、離れた場所で箱を開いたときAの中身が青だったら、Bの中は赤のボールだと即座にわかる、というのと同じことでした。

しかし、ボーアの解釈ではAを開くまでボールの色はこの世界で決定されておらず、開いて観測した瞬間に青に確定すると言っていたのです。そしてその結果は数光年離れたBの箱に即座に伝達され、Bの箱の中が赤いボールに決定されると言うのです。

アインシュタインが気味悪がったのも当然でしょう。

赤と青のボールは初めから決まっているのではなく見た瞬間に色が決定される。/Credit:Olena Shmahalo/Quanta Magazine

しかし、この2人の主張のどちらが正しいのか、判定する方法はあるのでしょうか?

ベルは、これを判定するためにボーム版EPR実験を使って検証を行いました

もつれ状態の電子スピンは、それぞれX軸(左右)、Y軸(上下)、Z軸(前後)という直行する三次元軸ごとに他と関係なく測定できます。

もしX軸について測定して、Aが上向きなら100%の確率でBは下向きという測定結果が出てきます。この測定だと、Aのスピンを測定してBのスピンが決定されたのか、もともと決まっていたのか判断できません。これは赤青ボールの問題と同じ状態です。

しかし、ベルは角度を変えてスピンを測定した場合、100%の相関で両者のスピンを測定出来ないことに気づきます

量子スピンは以前の章でも紹介した通り、古典物理学には対応するもののない純粋な量子的性質を表しています。角度を付けてスピンを測定した場合、確実な結果が得られず、2粒子を同時に測定したときどっちも上向きというような結果出てきてしまうのです。

そして、このとき予想される相関のばらつき範囲は、粒子が初めから決まった値を持っている場合と、測定で初めて値が決定されその情報がもつれた粒子にも伝わるという場合で、それぞれ異なることを発見したのです。これをベルの不等式と呼びます。

ベルの考えた角度を付けた電子スピンの測定。/Credit:xseek-qm.net/

これは長く続いた哲学論争を、実験で検証できるようにした画期的なものでした。

理論物理学者だったベルは、アインシュタインとボーアのどっちが正しいか検証できる実験を思いついたから試してみてよ、と実験物理学者たちに呼びかけました。

この実験は当初ベルが考えていたほど簡単なものではなく、その後様々な研究者たちが検証を繰り返すことになります。

しかし、最終的に1980年代にアラン・アスペによって、局所性というものを維持した理論では、説明できない結果が得られたのです。

アインシュタインの言った不気味な相互作用は、現在では量子テレポーテーションという呼び名で知られていて、量子コンピュータや量子ネットワークの設計でも重要な概念になっています。

こうして、量子力学の解釈を巡る長い論争に決着がつきました。このときにはもう、アインシュタインもボーアも亡くなっていました。

彼らは自分たちの考えにどういう軍配が下ったか、知ることはなかったのです。

こうした結果があるからこそ、もともとはコペンハーゲン解釈を否定するために作られた、シュレーディンガーの猫やEPRパラドックスという理論は、現代においてはコペンハーゲン解釈の不可解な世界観を説明するための例え話にされているのです。

ベルの定理は、まさにアインシュタインの弔いの鐘になったのでした。

巨人たちの死

最後にこの偉大な量子論の歴史を築き上げてきた物理学の巨人たちの最後について触れておきましょう。

量子論の父と呼ばれ、最初にその世界の入り口を開いたマックス・プランクは第二次大戦中もハイゼンベルグなど共にドイツに留まりますが、1945年に末息子のエルヴィンがヒトラー暗殺容疑で捉えられ、絞首刑にされてしまいます。

「彼はわたしの太陽、誇り、希望だった」最愛の息子を亡くしたプランクは失意に暮れますが、それでも終戦後はドイツの物理学復興のために尽力し、彼の名を冠したマックス・プランク研究所が誕生します。

終戦後、間もない1947年に脳卒中により89歳で亡くなりました。

マックス・プランク研究所は、現代も残っていて多くの成果をあげています。

アインシュタインは1955年、動脈瘤の破裂で息を引き取ります。76歳でした。彼はなくなる直前まで研究に夢中で、病院のベッドの中でも研究ノートを持ってくるよう家族に頼んでいたといいます。

アインシュタインは亡くなる直前に、ドイツ語で何かをつぶやいたそうですが、夜勤の看護婦はそれが何を意味するのか聞き取ることはできませんでした。

彼は生前の希望通り火葬にされ、未公開の場所に灰が撒かれました。なお、彼の脳だけは火葬の前に取り出され、研究に回されました。

アインシュタインの死によって、量子力学の解釈に表から挑んでくる者はなくなりました。しかし、それでもボーアは、亡きアインシュタインと討論するように、量子力学の問題について考え続けたといいます。

「私にはアインシュタインが微笑んでいるのが見える。得意げだけど、思いやりのあるあの顔で」

ボーアはアインシュタインの死から7年後の1962年に亡くなりましたが、その前夜、書斎の黒板に描いていたのは1930年にアインシュタインが提示した「光の箱」という思考実験の図でした。

アインシュタインの考案した光の箱の思考実験をボーアが後に図案化したもの(左)。ボーアが亡くなる前夜黒板に描いていた図(右)。ボーアは死の直前まで頭の中のアインシュタインと討論を繰り返した。/Credit:en.Wikipedia,Niels Bohr Arkivet

ボーアが最後まで気にかけていたのは、今考えている物理学の問題をアインシュタインならどう言っただろう? ということだったのです。

彼らの死後、著名なアメリカの物理学者リチャード・ファインマンはこういいました。

「量子力学を理解しているものは、一人もいないと言って良いだろう」

私たちは、生まれたときからその答えを知っていて、中学生のときには「シュレーディンガーの猫ってのがあるんだって、すげえ。量子力学って意味わかんねえ」とか言っていたかもしれません。しかし、それは世界最高峰の科学者たちも同様だったのです。

量子力学は現在も相対性理論を含めた古典物理学とは分断されていて、物理学者たちはこれをなんとか統一したいと願っています。

現在の解釈も、どこかの未来で修正されることになるのでしょうか?

もしかしたらそのとき、「だから不完全だと言ったろう?」とアインシュタインがボーアの横でほくそ笑むのかもしれません。

アインシュタインとボーア。1930年ソルヴェイ会議閉会後、エーレンフェスト邸にて。/Credit:pixabay

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